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灯篭による仮想通貨にFXに株をハックする投資のあれこれ、ときたま脱線

ガレキの上のブロックチェーン

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今回は何かの解説でもニュースや翻訳でもなく、ブログらしくたまにはここ数年ずっと考えていることを綴りたいと思います。

 

ブロックチェーンというものが将来的に壊していくだろうものは山ほどあります。

その最たるものは誰かの職業です。

そして職業を奪うことはその人の収入や人生を奪うことにもなりかねません。

シンプルに"ポジショントーク"という言葉で暗号通貨やブロックチェーンを批判する人のことを揶揄することがよく見受けられます。揶揄することが悪いとは自分は言えません。

しかし、主観のバイアスがどれほどの強さかかっているか、意識的か無意識的かは別として少なからず批判する人も賛同する人も自分の立ち位置によってバイアスがかかっているはずです。

悪いとは言えませんが、私は自分の立ち位置を脅かされるからという理由で反対する人のことを一辺倒に批判することには少し引っかかる部分があります。

あくまでディベートとしてお互いに批判しあっていくことは本質を掴んでいくためには必要なことかとは思いますが、相手の主観も少し考えると問題が難しく複雑になっていきます。

 

利便性というものはなにかを省いて効率的にすることであり、常に利便性は何かをカットします。それが大抵の場合は人件費や職業なわけです。

客観的にみると人類の発展のため、少数派に犠牲になってもらうのかという問題になります。ここに犠牲になる人の主観を一切考慮せず、経済的合理性、利便性だけを求めた場合には将来の人類のためにその人たちには犠牲になってもらおうとなってしまうかもしれませんが、倫理的には人数の差で人の重みが変わるのかというトロッコ問題( トロッコ問題 - Wikipedia )に発展します。

 

このような問題は今だけ直面している問題ではありません。

日本でも様々な地域で都市開発やダム建設、空港の建設などで直面してきた問題です。

 

ある発展途上国で行った際に寄ったとある村には一面ガレキしかありませんでした。

そこにリゾート地を建設するために政府と軍が強制的に武力弾圧し、全て取り壊したとのことです。それでも住民の方々はそのがれきの上に戻ってきて竹で手作りの小屋を建てて住んでいます。明らかにもう一度銃をもった軍が来ることになるでしょう。

彼らの話を聞けば悲しみや怒りの言葉が溢れます。ある少女は学校で日本語を勉強して日本に行ってみるのが夢だったのだけど、もう学校へは行けなくなってしまったと言います。ガレキだらけの村とその向こうの高層ビル群というコントラストも相まって涙も溢れました。それでもメディアはハッピーエンドとして報道しています。

 

そこまで彼らの気持ちをダイレクトに感じたうえでは絶対にそのようなことは許せないという気持ちになります。

しかし、それでも自分を殺して客観的になって考えると、ここから時を進めてそこにリゾート地が建設され、このようなことが様々な地域で起こり、国がどんどん先進的になっていった後、現地の人に昔の立ち退きがなかったら今も貧しくてこんなに便利になっていなかったが、昔の貧しい村で過ごすのと今の先進的な生活をするのとどちらが良いかと聞けば貧しい村で過ごしたかったと言う人はかなり減るでしょう。少数派である可能性が高いことも想像つきます。

強制的に立ち退きをさせなければおそらく彼らは立ち退きません。そこは彼らの故郷だから当然です。

 

さらにきっと日本でもアメリカでも同じことが行われていたことに気付きます。

 

そしてこれは物理的な土地だけの問題ではなく、例えば機械やコンピューター、インターネットといったものも同じです。

それらができたことによって不要になった職業の人は失業し、大変な苦労や悲しみを背負ったでしょう。利便性や発展は無数のガレキの村を産み、当事者はそれに苦しみ、利便性や発展の恩恵を受ける人はそれを仕方のない犠牲だと言います。

そして、今ブロックチェーンがこの問題の直面しつつあり、ガレキの上に建とうとするブロックチェーンに対して反対の声をする人がいます。

その中身がどうであれ、批判することが目的でありそのためにその理由を考えているという状況になっているのも明らかで、何かブロックチェーンに関するバッドニュースが上がれば待っていたと言わんばかりに批判の嵐になります。

彼らが反対の声を上げるのは当然の権利であり、当事者の主観を考えると当たり前の行動です。

しかし我々はそれを壊す側の人間です。だから壊すためにその彼らと戦います。これもまた当然です。

お互いにお互いの視点に立つとそれが正義であり、最後まで相手に対して屈することはできないでしょう。どちらが勝っても勝てば官軍、その後の人たちはその結果に対してポジティブに考えます。

経済的合理性優先し、どちらに投資するのが自分が得をするかと考えたときにブロックチェーン側に投資する方が得だと個人的には考えているので私はここにいます。今読んでくださっている方々は私のブログ属性からしておそらく同じ立場の人が殆どだと思います。

 

この問題に対してどうするべきなのかという正解もないのですが、投資家という将来の発展にお金を投じる職業に関して、常に犠牲を作る仕事なのではないかとか色々と考えます。

もちろんそれが悪いというものでもなく胸を張って戦えばいいのだとは思いますが、ここ数年ずっとこれに対する自分の中での答えが見出だせずに悩んでいます。

そして、あの光景を目の当たりにして涙しても尚、こう思う自分に対しての葛藤もあります。フラットに客観的に考えよう考えようと努力すること自体が自分を守るための主観的な行動なのではないかとも思ってしまったりもして悩みはより深くなってさらに答えから遠のいていきます。

答えを出すことすらおそらく気が楽になりたいだけのエゴなわけですから、結局同じことなのかもしれませんし、答えを探すこと自体に意味があるのかさえもわかりません。

 

というだけの何もまとまらないお話でした('_')

ガレキの連鎖とガレキ上のブロックチェーンといった意味を込めてURLはrubblechainにしてみました笑

 

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