サイコロの目は連続する。
サイコロを3回振って全て6の目が出たとしても、次に振ったときに6が出やすいかといえばそうではない。それまでどんな目が出ていようと、次振るサイコロの目の確率に変わりはない。全ての目が毎回常に1/6の確率で出現する。
頭ではわかっていても人は意外と直前の経験によってバイアスがかかりやすい。
それはジンクスという呼び方をされたりもする。
黒猫が目の前を横切った後に、怪我をするということが何度か続いたとしても黒猫が前を横切ったときには悪いことがそのあと起こりやすくなるわけではない。
"この売り場で一等が出ました!! "という宝くじ売り場で宝くじを買っても当たりやすいわけではない。
1/99の確率で当選するクジで200回連続当たらなかったとしてもそろそろ当たるはずだろうというのは間違っている。次引くクジの当選確率は1/99である。
そして、一度バイアスがかかるとそこから外れた事象の印象は薄くなり感覚にずれが生まれる。
このような心理的な現象は古くから様々なことに利用されている。その最たるものが宗教とギャンブルだろう。
祈り、信仰、お守り、宝くじ、ぱちんこなどなどこれらの本質はバイアスによる確率の錯覚が用いられている。
ギャンブルにおいては金銭を搾取するための罠であるので引っかかってはいけない。宗教的な利用は良い効果もあるとは思うのでこれは悪いとは思わない。恋愛成就のお守りをつけている人は恋愛に対して自信が生まれて実際に成就確率が上がるかもしれないし、健康を祈ればプラシーボ効果を得ることもあるだろう。
そういう意味では錯覚が実際の効果を創り出すためにフラットな立ち位置に自分を置かないということも幸せなことだとは思う。私のような人はそのような効果を得ることができない。
しかし、投資という分野に身を置き生き抜くのであればそれも仕方ない。
投資という分野においてはさらにこの心理的効果は強まる。
上昇トレンドが続けば、HODLこそ正義だという意見が乱立する。その後、下落相場が続けば短期トレードこそ正義だという意見が乱立する。
だからこそ、上昇トレンド時には本当に保有するだけでいいのだろうか、
下落トレンド時には本当に長期保有はしないべきなのだろうか、
ということを考える必要がある。実際に次もそうなりやすいかどうかとは関係なく単に自分がそれを経験したからそう錯覚しているだけなのではないだろうか、逆の経験をしていたら逆の考えになってないか、根拠に正当性があるのかなど疑い、逆の事象について思考し比較することで初めてバイアスから解放される。
常に自身をフラットな位置に置いて考えていかなければすぐに錯覚を起こして足元をすくわれるのがこの世界。そのバイアスに沿った情報のみを鵜呑みにして、そこから外れたことを示す情報は軽視していないだろうか。
その相場観は本当にバイアスがかかっていないか一度考えてみてはどうだろう。サイコロの目は連続する。